戦後70年。終戦の日を前に、最後の陸相、阿南惟幾(あなみこれちか)大将が再評価されている。陸相を中心に、終戦の決定から玉音放送までを描いた映画「日本のいちばん長い日」が48年ぶりにリメークして公開されるほか、郷里の大分県竹田市では初めての胸像が建立される。陸相は、本土決戦を主張する陸軍を代表して終戦に反対し続けたが、最後は昭和天皇の聖断に従って賛成に転じ、玉音放送の朝に自決した。「反省すべきことは反省し、評価すべきことは評価する時代になったのでしょう」。遺族はそう話す。(安本寿久)
「大罪を謝す」
陸相の3男で元新日本製鉄(現新日鉄住金)副社長の惟正氏(82)が父に最後に会ったのは、昭和20年8月11日の夜だった。東京・三宅坂の陸相官邸から久々に三鷹の私邸に帰って来た陸相のもとには訪問客が絶えなかったが、わずかな時間を見つけて質問した。
「ソ連まで参戦して、日本は勝てるのでしょうか」
当時、惟正氏は12歳。陸軍幼年学校への進学をめざしていて、2日前に急に日本の敵国になったソ連のことが気がかりだった。
「日本が負けることは決してない。君たちはしっかり勉強していればいい」
陸相はいつも通りの穏やかな口調でそう答えた。その日以降、陸相は閣議や最高戦争指導会議で継戦を主張する一方、陸軍による倒閣運動やクーデター計画を押さえ込み、最後は天皇の聖断に従って終戦の詔書に同意した。15日未明、陸相官邸で自刃。遺書にはこうあった。
〈一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル〉