【プチ考古学】『週刊プレイボーイ』

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ヤフオクを見ていたら、懐かしい本を見つけた。
習慣・・・いや、週刊『プレイボーイ』。
1975年5月13日号
高校2年生の時だ。
表紙は小林麻美さん。これは後で気がついた。

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日産チェリー・・・二代目か。
「クミコ、君を乗せるのだから」という、今思うと何を言ってるのか?というコピー。
「愛する人を安心して乗せる。チェリーF-Ⅱは、そのような人間本位の設計思想から生まれました」とあるから、それを謳ったコピーということね。

若き秋吉久美子さん!
野坂昭如さんの曲をテーマにした映画『バージンブルース』に主演、1974年公開。
野坂さんも全盛時代と言えるだろうか。

クルマの広告が思ってたより少ない。

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「L.L」は「ランゲージ・ラボラトリー (language laboratory) 」
確かにこういう流行みたいなのがあったか。
その機能を使って、歌の練習や、歌手とのデュエットもできる、という応用編か。
機械をそのままに、利用法を変えて宣伝したわけね。

ちなみに「AIWA」は「愛輪」らしい。アイワに勤めていたオジさんに聞いた。

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「Aurex」は、東芝、か。
「システムコンポ」という流行だったか。
この頃はラジカセが精一杯で、これを親にねだる、ということはできなかったな〜。
シスコンを持ってる友人が羨ましかった。
レコードプレーヤーもチャチイのしか無かったから、友人の家に持っていって聴いたりしてた。
それがちょっとナサケナクもあった。
音楽とかに理解ある親だったら買ってもらえたのかも知れないが・・・
ま、カメラには理解があったんだkら、いいか。

こういうのは勉強部屋に置けるようなものではないし、置けるような部屋があるということが羨ましい。

カセットデッキが懐かしい。
そもそもカセットデッキの「デッキ」というのは、こういう形で置くから「デッキ」なの?・・・と思う。

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「エアチェック」という流行。
これはVHF・UHFのテレビの音も録音できるチューナーが付いてる、というのがウリなのね。
よく見ると、右上に「テレビのチャンネル」が付いてるのが笑える。
いわゆる「チャンネルを回す」というヤツね。
おいおい・・・でしょ(^o^)

『FMレコパル』なんて雑誌があって、FM放送の音楽番組を録音する、ということが当たり前だった。
音楽を聴く、というよりも「エアチェック」するということが目的になってた部分もあると思う。
ワタシはやらなかった。
音楽よりも、おしゃべりの録音が昔から好きだったので、ワタシにとってのエアチェックは、深夜放送とかを録音することだった。

ところで、この「録介(ロクスケ)」は、永六輔さんから来ているんだろか?

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乾電池でも動く。テレビも見られる。
「パーソナル」へのあがき、とでも言うべきものがあったんだろな・・・と回顧。
ただ、電池で駆動してどこへでも持って行けると言って、世界を旅するイメージの広告はどうよ?!・・・と思う。

しかし、来るべき「大人になった時」に「独立する自分」という壮大なイメージが膨らむ時代だったのかも知れないな〜。
親の支配下を離れ自由になる!羽ばたく!・・・という所に限りないイメージの飛躍をするワケだけれど・・・
ワタシの場合は、ず〜〜〜〜〜〜〜っと、最近まで支配下にあるという、夢も希望も無い状態で、あの頃の自分を懐かしむ。

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単機能の物をガッタイ!することが良かったのかね〜、と思う。
これも変な機械だ。
4チャンネルのスピーカーにアンプとかが埋め込まれている。
そうじゃ無いでしょ、と思うね(^^)
当たり前だけど、レコードプレーヤーだけは小型化できてないし。

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こういう画風がなんか・・・昭和の頃、という感じ。
『俺の空』とかあったね〜。
男が描く男の為の身勝手なマンガ的系列。
この後、身勝手なセ♡クスシーンになるんだけど、それだけでオ♡ニーできた時代・・・
セ♡クスに対する夢と希望にも溢れていた時代。
この頃、既に体験していた友人がいたが、非常に羨ましいと思いつつ、そんなに早く夢を現実にしていいのか?・・・という悔し紛れの言い訳も所有していた。

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この本を買って「大事に使ってた♡」のは、この記事があったからだった。

新連載。バナナの皮から幻覚剤を作る〜?!・・・という「ホントかよ?!」な記事。

野坂昭如さんは「黒めがねのプレイボーイ」というキャッチコピーを着けられていて、当然ながら『プレイボーイ』誌ともお友達。
でも、単に「黒眼鏡をかけている作家」というだけで、二名目ではないし「プレイボーイ」が相応しいかは疑問だけれど。
破天荒なイメージはあった。
実際はシャイで不器用な感じ。

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左、シノヤマキシンさんの奥様ですな〜

この本は特に「思い出♡」がある。
表紙の小林麻美さんは、後に資生堂のCMで気になる存在となって、雑誌記事など追いかけた。
映画『真夜中の招待状』公開に当たっては、新宿の松竹だったか?・・・映画館でのイベントにも行って「生・小林麻美」を見た!
この本を「使って♡」いる時には、小林麻美さんという認識は無かった。

野坂さんの連載を読みたくて買ったんだけれど、この本は、使わせていただいた。
「そういう意味♡」での思い出がマン載なのであります。
posted by 三日ボーズ at 09:44 Comment(4) TrackBack(0) ひとりごと

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この記事へのコメント

  • 007

    いや、なつかしい。。。

    高校生時代は荒井由実の歌曲で音楽に目覚めたのがオーデイオにのめり込むきっかけになりました。。。

    初マイカーは中古のチエリーFⅡセダン1200GL 4M/T中古(クーラー無し)で60万円でデビュー、、、親父から金を借りて購入しています、。

    あと、、、
    SONYはSONY、、、
    日立はLoDi、、、?
    東芝はオーレックス、、、
    三洋はOTTO、、、
    松下はテクニクス、、、
    シャープはオプトニカ?
    三菱はダイヤトーン、、、
    でしたか、、、

    古き良き時代、、、昭和でしたね。。。
    2021年07月09日 19:14
  • 三日ボーズ

    「週刊プレイボーイ」はクルマに乗るよりも、ちょっと下の世代がメインだったのでしょうか?
    意外にオーディオの広告が多かったんだな〜と思います。
    2021年07月09日 20:48
  • ひるのいこい

    うちの家内は ナガオカ教ですので(w
    あの頃のちょっとええとこの(大阪弁表現)おうちには
    フルコンポのステレオとミニ(ホーム)バーがありましたね。

    うちは「そういうものにうつつ抜かしてると 親戚の子に(学力で)負ける」=人よりもいい学校にだったので 苦労させられました。 なにせレンタルレコードの会員になっただけで(高校の話ですが) 泣かれましたから。 AKAI AIWA SANSUI TEAK ナカミチ TRIO みんな憧れのブランドでしたがブランドだけ残して消えちゃいましたね。 ONKYOは本社が近所だったのですが,今はショッピングモールになってしまいました。
    2021年07月10日 00:01
  • 三日ボーズ

    ナガオカ教〜ww・・・(^o^)
    針のほうですか、オジサンのほうですかぁ〜??

    オーディオも、CDになってからと、デジタルになってから、の、大きく分けて2回の変革を経て、中レベル、低レベルの辺りの機械の差が無くなってしまったかのような感じがします。
    ウォークマンを持ってヘッドホンで聴いたりするようになって、やがてiPodとかの圧縮音楽を聴くようになって「音の良さ」の概念が変わったように思います。
    今また、ハイレゾなんて〜のが出てきて、一部で変革が起きている感じもしますが、昔のオーディオメーカーは、殆ど過去になってしまったですね〜
    2021年07月10日 00:34

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